北海道のキハ55

旭川−札幌を走っていた急行かむいには一往復DCが走っており、そのDCには何とキハ55が当てられていたらしい。キハ55系とキハ56系の併結だったようで、キハ56系はキロ26一両を含む4両編成、キハ55系はキハ55とキハ26の混成。1973年から1980年までは見られたようだから、結構本格的に北海道でキハ55が使われていたことになる。物の本によるとキハ26とキハ55どちらかがバス窓で、どちらかが一段上昇窓と書かれてあったが、実際に配置を調べて見ると、キハ55が5,10,24,164,222。キハ26が1,4,118の合計7両、79年までにはキハ26の1がキユニ26に改造されて姿を消しているので、キハ26が4と118ということになる。キハ55は最後まで変わらなかったようだ。キハ55のうち前の3両がバス窓で164,222が一段上昇窓ということになる。一方キハ26は1,4がバス窓で、118が一段上昇窓である。北海道のキハ55の運用は基本的にキハ26と55のユニットを二つつなげて運用していたようで、キハ26がバス窓と一段上昇窓が一両ずつ、と言う可能性が大きかったことになる。1978年までは両方ともバス窓の可能性もあったが。キハ55に関しては様々なパターンがあったようで、バス窓二両、バス窓一段上昇窓一両ずつ、一段上昇窓二両というバリエーションが存在したようだ。キハ55が普通列車に入っている写真も見かけるので、キハ55は運用に余裕がありそうだが、キハ26に関しては配置両数が所用両数とぎりぎりなので、あまり普通列車に運用される、ということはなかったのだろう。わが家にはキハ56系セットがあるので、キハ55系を入れて「ましけ・かむい」の再現だ。
いろいろ読んでいると運用についてはどうやらキハ55系の前二両が「かむい」の滝川折り返し編成で、後ろ二両が増毛行の「ましけ」、キハ56系が「かむい」の旭川編成だったようだ。さらにややこしいことに旭川から深川には幌延行の羽幌線急行「るもい」がキハ22系で併結される。
つまりこういうことだ。旭川駅を出た段階では次のような編成となる。
←小樽・幌延 キハ22−キハ22(るもい1号)+キハ56−キハ56−キロ26−キハ27(かむい2号)旭川
深川で前よりのキハ22「るもい」を切り離す。「るもい」は留萠本線→留萌→羽幌線→幌延へと向かい、逆に増毛から留萠本線を走ってきたキハ55系「ましけ」が後ろに連結される。そのましけの編成は以下の通り。
←増毛 キハ55ーキハ26 →深川
「ましけ」を増結した結果、「かむい2号・ましけ」は以下のような編成で小樽に向かうことになる。
←小樽 キハ56−キハ56−キロ26−キハ27(かむい2号)−キハ55−キハ26(ましけ)旭川
さらに滝川で後ろに落合か根室本線をやってきたキハ55−キハ26の普通列車が後ろに連結され、それは「かむい2号」の増結編成となる。
←小樽 キハ56−キハ56−キロ26−キハ27(かむい2号)−キハ55−キハ26(ましけ)−キハ55−キハ26(かむい2号)旭川
以上の8両編成で小樽を目指す。
下り列車は小樽を以下の8両編成で出発。
←小樽 キハ55−キハ26(かむい10号)−キハ55−キハ26(ましけ)−キハ56−キハ56−キロ26−キハ27(かむい10号)旭川
という編成で「かむい2号」とはキハ55系とキハ56系の順序が逆になる。
滝川で一番後ろのキハ55−キハ26を切り離す。
←小樽 キハ55−キハ26(ましけ)−キハ56−キハ56−キロ26−キハ27(かむい10号) 旭川
深川で後ろの「ましけ」を切り離し、代わりに羽幌からの「るもい2号」を前に連結する。
←小樽・幌延 キハ56−キハ56−キロ26−キハ27(かむい10号)+キハ22−キハ22(るもい2号)旭川
「ましけ」は以下の2両で増毛に向かう。途中留萌からは普通列車になる。
←増毛 キハ55−キハ26 深川→
ちなみに1973年までは「ましけ」はキハ56系だったようだ。キハ55の投入は明らかに格下げなのだが、車両が足りなくなったのであろうか。
1978年以降は「ましけ」の併結相手が「かむい4号」と「かむい13号」になり、「るもい1号」「るもい4号」になっている。
「ましけ」自体は1980年に廃止になり、キハ55も運命を共にしたようだ。「かむい」にもだんだんとキハ40が混じり始め、電車の「かむい」も廃止になるが、DC「かむい」は1988年まで走るのだから立派なものである。私が北海道にはじめて行ったのは1989年3月のことだから、タッチの差だったのだ。もっとも今関心を持っている北海道のキハ55は1980年限りだったのだが。