「諸国郡郷庄園地頭代、且令存知、且可致沙汰条々」3追加法284、285

検断(犯罪処罰)に関する地頭代の苛政をチェックするための一連の追加法の検討の続き。追加法282から追加法284までをひとまとまりとしてここにまとめる。それは、仁治3年(1242)1月15日の「新御成敗状」の中の追加法175に相当する条文だからである。いわば追加法282から284は追加法175の細則という意味合いを持つが、同時にそれに留まらない側面を持つ。追加法175と追加法282から284の間に横たわる断層は、いわばそれが「Gewalt」なのか「Macht」なのか、という問題でもある。組織された「Gewalt」に留まらない「Macht」として自己を規定し始めた、ということを「諸国郡郷庄園地頭代、且令存知、且可致沙汰条々」が表象しているのである。
追加法284の本文。

一 窃盗事
右、銭三百文以下者、任式目、以一倍致其弁、可令安堵。三百以上五百文以下者、可行科料二貫文也。但於贓物者、可返与被盗之主。六百文以上重科者、可為一身之咎。不可及親類妻子所従等之咎。背此儀致過分之沙汰、頗非撫民之法。須改所職。但雖為少犯、及両度者、可准一身之咎焉。

読み下しと解析。

一 窃盗事
A 1 右、銭三百文以下は、式目に任せ、一倍を以て其の弁を致し、安堵せしむべし。
A 2 三百以上五百文以下は、科料二貫文に行うべきなり。但し贓物においては、盗まるるの主に返し与うべし。
A 3 六百文以上の重科は、一身の咎たるべし。親類・妻子・所従等の咎に及ぶべからず。
B 此儀に背き過分の沙汰を致すは、すこぶる撫民の法にあらず。すべからく所職を改むべし。
C 但し少犯たりといえども、両度に及ばば、一身の咎に准ずべし。

ここで「式目」と言われているのは「御成敗式目」そのものではなく、「御成敗式目」の前年の寛喜3(1231)年に出された追加法21のことである。そこでは百文〜二百文が「一倍を以て弁償」で、三百文以上を「重科」と規定しているが、A−1では三百文まで「一倍を以てその弁を致し」と緩和されている。
A−2のポイントは「但し書き」の「贓物においては、盗まるるの主に返し与うべし」のところであろう。「贓物」つまり犯人の隠匿していた盗品のことであるが、「贓物」は中世法の判例では検断権行使者の得分として没収されるのが通説であったようだ。この「但し書き」がA−2のところに付けられているのは、A−1の場合には単に当事者間の弁償で済まされ、刑事事件に問われないので、検断権行使者は出る幕がない、ということであろう。A−2では罰金刑が科せられるので、中世法の常識では検断権行使者に「贓物」が与えられることになっていたが、それでは被害者はたまったものではない。その状態を是正しようとしたのがこのA−2の但し書きの内容であろう。しかしこの法思想は受け継がれることはなかったようで、フロイスは「盗品は失われたものとして裁判官が没収する」と記録しているし、今川氏の分国法でも「雑物(贓物)出間敷由先規」とある(『中世政治思想』上の頭注)。
A−3では六百文以上の「重科」は「一身の咎」とある。窃盗に関しては配流・禁獄などの自由刑(懲役刑・禁固刑)であったようだ。「親類・妻子・所従等の咎に及ぶべからず」とあるのは、刑罰にかこつけて「下人化」しようという地頭の動きがあったのだろう。その禁止条項であると考える。
Bでは「撫民の法」という言葉が出てくる。「撫民」というのは北条時頼政権の一つのキーワードである。検断権、つまり警察権と刑事裁判権に関わるところでは「撫民」は「過分の沙汰」つまり厳罰主義へのアンチテーゼとして出されている。さらに言えばこの一連の法令で出されている精神は、自己に与えられた権限を私物化してはいけない、ということであろう。そういう権力を私物化するような、公人と私人の区別が付けられない権力者不適格の人間は「すべからく所職を改むべし」なのである。これが北条時頼政権のメッセージであった。
Cは再犯に対しては厳しく対処する、ということである。追加法263によれば、「小過」と称して刑事罰に問われずに再犯を繰り返す者がいたので、重科に准じるということになったという。その再確認である。
以上追加法282〜284をみてきたが、追加法282で自白偏重主義ではなく、証拠重視主義を採用すること、283と284では附与された権限を私的に流用することを禁じている。284ではこういった時頼政権の方針を「撫民の法」という言葉で表現している。
追加法172〜199のいわゆる「新御成敗状」では追加法282〜284に相当する部分は追加法175に「殺害、山賊、海賊、夜討、強盗、窃盗、刃傷、放火、殴人等事」として「御式目厳重也。任其状、或死罪流罪、或改易所職。更不可有猶予矣」と規定されているだけである。「御式目」こと「御成敗式目」には33条に「一 強窃二盗罪科事 付 放火人事」として「右、既有断罪之先例。何及猶予之新儀乎。次放火人事、准拠盗賊宜令禁遏」とある。そこではむしろ「猶予の新儀」ではなく、「断罪之先例」、つまり厳罰主義が標榜されている。しかしせっかく存在している権限も、それを行使する主体が公人と私人の区別も付けられない不適格者であれば、それは民の苦しみとなるだけである。そのような状態を放置するのは「撫民の法」に悖る。「諸国郡郷庄園地頭代、且令存知、且可致沙汰条々」はそのような現状を是正しようというメッセージなのだ。
追加法285も一行なのでここに付けておこう。

一、放火人事(放火人の事)
右、准強盗宜禁遏矣(右、強盗に准じ、よろしく禁遏すべし。)