「小塩荘帳写」4「はゝ村」編3
「はゝ村」の三回目。
三五
一反 定米二斗八升一合 はし殿
おんてん
三五
一反 六分一 定米二斗八升一合 みなミ方
一のつほ
四五
二反 六分一 定米合七斗二升二合
おんてん四五
一反 六分一 定米三斗六升一合
おんてん四五
二反 定米合七斗二升二合
いしかまち三五
一反 定米二斗八升一合
六段田合六反 中にし方
もう一度この史料の読み方を復習。
最初の「三五」とか「四五」というのは「斗代」といい、反あたりどれだけの年貢がかかるか、という数値。「三五」というのは一反当たり「三十五斗」ではなく、「三斗五合」の意味。次の「定米」というのは、実際に納入すべき年貢額で、「斗代」の八割に一合を加えた数値となっている。二筆目を例にとれば、三斗五升が斗代となっている「一のつほ」は、定米が二斗八升一合となっていて、三斗五升の八割に一合が加えられている。「みなミ方」は納入責任者で、「方」や「殿」が付いているのは地侍層を示している。
一筆目・三筆目・四筆目にみられる「おんてん」は「隠田」のことで、荘園領主が把握していない田地のこと。この馬場村では四筆存在する。本日紹介した「中にし方」に三筆、馬場村の最後に記載されている「孫太郎」の「しゆとのはう」の田地に一筆。馬場村は樋爪と並んで二番目に多く、「水足」(水垂)が十二筆ある。これらはいずれも九条家の影響が強い地域のようで、九条家と小塩荘の領有をめぐって係争関係にあった随心院によって作成されたこの「小塩荘帳」には九条家関係地域の隠田が多く記載されているようで、隠田が多いのは、九条家ゆかりの土地であることを示している。
(参考『長岡京市史』本文編第一巻695ページ〜696ページ)