下国康季宛足利義持御内書を読む

『後鑑』に収録されている下国康季宛の足利義持御内書について、詳しく読み込んでみる。従来これは「足利義量御内書」と理解されてきた。理由は『後鑑』が義量の項目にいれているからである。しかし年表をみれば、義持の出家が応永三十年四月二十五日であり、件の御内書が同年四月七日付であることを考えれば、これを義量の文書とすることは、誤っていることが明らかである。
引用する。

応永三十
馬二十疋、羽五十鳥、鵞眼二万疋、海■皮三十枚、昆布五百把到来了。神妙候。太刀一腰、鎧五領、香合、盆、金襴一端遣之也。
卯月七日
安藤陸奥守とのへ

ちなみにこれは「大館記」所収の「御内書案 応永以来永正」に収められたものである。『ビブリア』80号に収録されている。これは桑山浩然氏、山家浩樹氏によれば、伊勢因幡守家の引付を大館晴光が書写したもの、ということである。伊勢因幡守家の祖に当たる伊勢貞長は応永年間に御内書右筆を務めるなど活躍が顕著であるらしい。それを考えれば、この御内書は伊勢貞長が作成し、その案文が伊勢因幡守家に伝えられ、大館晴光によって書写され、今日に伝来したものと考えられる。