三宅国秀殺害事件を考える

画像は鶴姫(特、旧)。大三島の大祝の娘。現在は排出停止だが、我が同盟の盟主はかつて鶴姫ばっかり引いて凹んでいたことがある。低コストなので秘境要員として使え、コスト比もまあまあなので弓の防御カードとして使えるが、成長率が低く、数があっても困るカードではある。鉄壁の備えスキル持ちなので、合成素材としても使える。

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1550年ごろ、大三島水軍の一員である今岡通詮なる人物が琉球渡航を企図し、島津氏の援助を求めてきた。島津氏は備前連島の海賊三宅国秀がかつて1516年に琉球渡航を企図した時に殺害しており、国秀を琉球への侵略者、自らを侵略者から琉球を護る存在として琉球に報告し、一方で国秀は琉球に殺害された、と通詮には報告している。そして国秀殺害によって島津氏は幕府より「義絶」されている。
三宅国秀が琉球渡航を企図して殺害された1516年頃は、細川高国大内義興が協力して足利義稙を支えていた時期であり、国秀は細川高国と密接な関係を持っていた、と考えられている。
一方、今岡通詮は、村上水軍の一員として大内義隆を支えた人物であり、琉球を通じて明との交易を行う堺商人、彼らを警固する村上水軍、そしてそれに影響力を持つ大内義隆、という図式が描ける。ちなみに鶴姫は大内軍の陶隆房と戦い勝利するも兄と婚約者を失い、投身自殺するが、その後大三島大内義隆の配下に入っていたわけだ。寧波の乱で日明貿易が途絶したのちは、義隆は琉球との関係拡大を積極的に行っていた。今岡通詮の琉球渡航計画の背後には大内義隆の姿を認めるべきである、と黒嶋敏氏は主張する。そして三宅国秀についても、薩摩まで琉球使節接触するためやってきたはずである、とする。瀬戸内の海賊であった三宅国秀は南九州から堺を警固するために薩摩にやってきたのであって、そこに細川氏の印判を持つ交易船が瀬戸内海賊と島津氏の警固をリレーして堺と琉球を往復するシステムだったのだ、と想定している。そして三宅国秀が殺害されたことによってリレーシステムが破綻し、島津氏と室町幕府との関係が悪化した、と推測している。