棟別銭

山を超えた。あとは棟別銭と帆別銭と足利義輝政権と足利義昭の政権構想。その辺はド素人だからどうにかなる。もちろん琉球関係もド素人だが、一応海域アジア史研究の底辺に棲息している身としては、何か身のあることを言わなければならないが、経済史の話は努力しようがない。というか、こういう広い関心の元、それを一つの話にまとめる黒嶋氏の著作は読み応えがあるが、書評を書く立場からすれば、正直辛いw
画像は武田晴信

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上カードでは随一の使い勝手を誇る。攻撃カードだからコスパは気にしなくていいし、赤備適性も上々。上カードだから同一カード合成で騎馬隊剛撃が付けば一軍の馬攻めカードとして終盤まで使える。
戦国IXAでは武田信玄がやたら多い。武田晴信の他に武田信玄(上)、武田信玄(極)、武田信玄(天・新旧)がある。上杉謙信も同じ構成で長尾景虎上杉謙信(上)、上杉謙信(極)、上杉謙信(天・新旧)がある。
棟別銭は段銭と並んで室町時代の代表的な負担とされてきた。その常識に疑問を提示するのが今回取り上げる「棟別銭ノート」(『中世の権力と列島』第六章)である。様々な支配権力が成立し、錯綜していた中世社会において、広範な身分・職業から「平均」に銭貨を徴収する賦課は困難であり、それゆえ特殊な賦課であった。家屋の棟別に賦課する棟別銭も特殊な賦課であり、その変遷を検討すべきと主張する。
第一節の「棟別銭の素描」で鎌倉時代から室町時代の棟別銭を検討する。鎌倉後期に寺社修造ブームが発生し、棟別銭による修造が増加する。寺社修造に端を発した棟別銭が勧進と近い存在であることは間違いがない、と黒嶋氏は指摘する。
室町時代には棟別銭は幕府・守護が賦課する定期的な税へと変化した、とされるが、黒嶋氏はそれが実証的に確認されたことなのか、と疑問を呈する。この問題に迫るために用いるのが『大乗院寺社雑事記』である。1450年から1508年にわたる記事を通じて、棟別銭の記事は31件と少なく、また幕府・守護用途を掲げたものが見られないことから、幕府・守護は段銭とは異なり、棟別銭の賦課主体にはなっていなかったこと、また足軽・悪党も賦課主体になり得たことなどから棟別銭賦課権を幕府・守護が独占するには至らないことを指摘する。また棟別銭には必ずといっていいほど名目が付されており、少なくとも使途目的を明示する必要があったのではないか、とする。
棟別銭について、黒嶋氏は榎原雅治氏の棟別銭の現実の徴収者を山伏であると明らかにした研究について、賦課主体を幕府としあるいは守護という通説のもとに論旨を組み立てていること、画一的ではなかった、とする指摘に異を唱える。
まとめると、棟別銭は、鎌倉前期以来すでに寺社修造費用調達の一方式として慣行化しており、室町時代にいたっても寺社修造を中心とした宗教的目的のための賦課であり、世俗権力が自己の目的のために徴収することは困難であった、とする。