足利義昭の政権構想

画像は足利義昭(新)。

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まあ天なので関係ないし。
黒嶋著作第九章「足利義昭の政権構想ー「光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚」を読むー」の部分。室町幕府の構成員を列記した番帳に分類されるものであるが、末尾に外様衆として五十三名、関東衆として二十五名の戦国大名が記されていることに特徴がある。永禄年間という、戦国IXAでも中心になる大名が出揃う時期の群雄を列挙した戦国大名リストとも言うべきこの史料は、学校現場で使われる「全国の戦国大名」という地図や戦国IXAの「全国地図」の基礎史料となっている史料である。「信長の野望」とかもそうかもしれないが、プレーしたことがないので分からない。
これだけ著名な史料であるが、黒嶋氏はその史料の成立事情や内容をしっかり分析した研究が1962年の長節子氏の研究しかない、とする。長氏はこの史料の人名の重複に着目し、この史料が前半と後半に分かれることを論証し、前半は永禄六年ごろの義輝(光源院殿)側近を記したものであり、後半は永禄八年から十一年の間の義昭側近を記したものとした。
長氏の研究成果が活かされていないこと、さらには長氏も外様衆と関東衆については簡略な検討に終始している点が問題であるが、さらなる大きな問題は、従来の研究が『群書類従』本に依拠していることにある、とする。黒嶋氏はまず諸本の検討、そして外様衆と関東衆の検討、そして本史料の意義を考察する。