諸本の検討

画像は六角義賢

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黒嶋氏によると、現在写本は8種確認できるという。黒嶋氏は財団法人水府明徳会徳川博物館彰考館所蔵「光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚」を定本として良質とする。内容的には例えば群書類従本では「佐々木左衛門大夫入道承禎」となっているが、彰考館本では「佐々木左京大夫入道承禎」となっている。六角義賢は「左京大夫」だった。
しかし武田信玄群書類従本では「武田大膳大夫入道〈甲斐国〉(傍注法名徳栄軒信玄)」、彰考館本では「武田大膳大夫入道信玄〈号徳栄軒、甲州、俗名晴信〉」と記され、「武田大膳大夫入道」以外は後世の追記であることが明らかであり、彰考館本の筆写時点で後筆と見られる注記が随所にある、という。また「伊達次郎晴宗」とあるが、永禄八年に家督を相続した伊達輝宗が正しいとする。というのは永禄年間にはすでに晴宗は左京大夫任官を果たしていたからであり、「次郎」と称されていた輝宗がふさわしい、とする。黒嶋氏は実名部分は後世の付記とみるべきで、元来は「姓+官途(未任官の場合は仮名)のみであった可能性が高い、とする。