年頭の決意

安藤美姫選手が肩を痛めながら最後まで踊りきったのは、まさに戦後民主主義教育のたまものだ。
なんてアホなことを書くとその思考力が疑われるのだが、そういえば昔安藤美姫選手がトリノで「楽しめればいい」と発言したことを「戦後民主主義教育の弊害」と定義した思考力の疑われる大学教授がいたなあ、と思ってしまった。その人の研究業績とその人がその研究業績以外のところでまともかどうかは全く関係がない、ということを改めて思ったのだが、そこのところを勘違いしてはいけないな、と野依良治氏を見ていて思ったのだが、そもそも私自身に帰ってくる問題か。
塾禁止に関して「公教育を充実させれば塾は競争力を失って淘汰される」と事務局も言っている。確かに、と言いたいが、塾業界の人間で「その通り」と思う人はいないだろう。塾と一口に言っても、私のように中学受験オンリーの塾と、学習困難児を受け入れる塾とでは同じ「塾」というカテゴリーでくくることは不可能である。私が何かしらの問題提起を出来るのは中学受験に関連する話題だけで、かつての経験から一応高校受験についても少し語れる程度である。
そして中学受験に関して言えば、公教育を充実させるべき問題であるようにも思えない。公教育がある種のイデオロギー注入機関であることは保護者達もわかっていたりする。そして公教育で注入されるイデオロギーを嫌う人々が中学受験を考えるのである。それは何も国家主義イデオロギーとは限らない。現在、学校で注入されようとしているのは確かに愛国心であり、そこから逃避する人々が増えているのも事実かも知れない。しかしそもそもは日教組の「悪平等イデオロギーに辟易した人々によって中学受験が盛況を見せていた時期もあったのである。そしてそれはそんなに遠い昔のことではない。今でも日教組系の教師は塾や中学受験に激しい嫌悪感を示す人が多いのは、多くの塾講師が体験的に知ることである。私立中学には結構リベラルな校風の学校が多く、現在「愛国心」の涵養が公教育で強められるであろう状態では、リベラルな学校への進学を考える人も多いだろうが、逆にリベラルな公教育に反発して保守的な学校に進学を考える人もいる。公教育が提示する価値観に飽き足らない人々が私立中学を考えるのである。
学力偏重への批判も多い。私立中学が入試内容を簡単にすればいい、と安易に考える人もいるだろう。しかしそれは中学受験の現状を知らない人の言だ。現在私の塾に来ている生徒はおそらくほとんどが学校ではトップクラスである。オール5の生徒をさらに序列化しなければならないのだ。もし入試を簡単にすれば、選抜をどうするのだろう。「人間力」か?どうやってはかるのだろう。国家への忠誠心か?少なくとも「体制」(政府という意味ではなく、教育を牛耳っている勢力のこと)への忠誠心は必須だろう。そもそも私立中学側は公立学校で現在行われていることを信用していないのだ。
もちろん現状の塾には問題が多いことも承知している。私が仄聞するだけでも成績至上主義の弊害は現れている。皮肉なことに「国家への忠誠」をうたう塾の生徒にも成績至上主義に走り、道徳のかけらもない連中が跋扈していることは私自身体験したし、私のかつての教え子もその「国家主義的教育」を行なう塾の生徒への怒りをあらわにするものもいた。もっとも現在の保守政治家を見れば、保守的教育を受けたことと、道徳心が身に付いていることは関係がない。そもそも保守主義そのものが強者へは自由に、弱者へは規制を強める態のものであるのは、アメリカを見れば明らかである。そして私が以前少しいじっていたチャート図における「保守主義」(コンサバティブ)は経済的自由と内面の規制を強めるものである。つまり強者の自由と弱者の規制が「保守主義」の本質である。強者であるエリートには全面的な自由を、弱者に対するさげすみを、その国家主義的塾では教えているのではないか、と勘ぐりたくもなる。成績至上主義の塾でも生徒のモラルハザードは目を覆うばかりである。しかしそういう塾が隆盛を極めているのも事実である。塾への批判が高まることは、塾業界にいる私にもやむを得ないこととも思える。これについては塾業界の努力が必要であろう。今のままでは本当に「塾禁止」という考えが説得力を持ってしまいかねない。しかしこれからの公教育に全てをゆだねる気持ちに私はなれない。私に出来ることは限られているが、少しでも受験指導に終わらない受験指導を考えていきたいとは思っている。国語では真のリテラシー能力涵養。現在受験業界でも喧伝されている「リテラシー」は内容のない言葉だけのものである。真のリテラシーとは何か、を考えながら、それを身に付けさせる受験指導を現在試行錯誤中である。
冒頭に出した大学教師は私立中学から有名国立大学を経て、現在某旧帝大助教授をやっている、まぶしいようなエリートである。その人にしてあの程度の思考力。根本的に思考力が欠落しているのだろう。私立中学受験があのような思考力が欠落した「情報オタク」を作り出してしまったことを反省しなければならない。リテラシー能力に基づいた思考力を鍛える受験指導の確立に向けた試行錯誤を塾でやっていきたいと今年は強く思っている。