近衛政家はワインを飲んだのか

キリンのサイトには

古くは1483(文明15)年の『後法興院記』に、関白近衛家の人間が「チンタ」を飲んだという記述がある。このチンタが赤葡萄酒のことといわれている。

という記述がある。ワインと日本人|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム|キリン
手元にある『後法興院記』文明15年をいくら読み返しても「チンタ」など出てこない。「チンタ」はポルトガル語由来らしいが、文明15年、1483年にポルトガル語が日本に伝来している可能性はほぼないだろう。
サントリーも同様の内容を載せている。

この時代に書かれた公家日記「後法興院記」に、「珍蛇(チンタ)」というお酒を飲んだという記述があります。
この「珍蛇」は、スペインやポルトガルから伝わった赤ワインを指すと考えられています

日本ワインの歴史|日本ワイン サントリー
次にこんな記述が酒店のサイトにある。

かなり確かなのは文明15年(1483年)の『後法興院記』に、関白近衛家の人が唐酒を飲んだとあり、「チンタ」になっているから、これはまさしくスペインかポルトガルの赤ワインである。

http://www.sakayaclub.co.jp/urakawa/kabusho/merumaga06.htm
「唐酒」という記述もいくら探してもない。
日付がそもそも書かれていないのでそこからして疑問である。日記を引用する時に普通は日付を書くだろう。
日付を見つけた。四月十六日らしい。http://www2m.biglobe.ne.jp/~shotaro/no29.html
四月十六日条を見る。

禅閤(近衛房嗣)令来給。小童同来。御折二合、カラサケ二百疋等令拝受。

酒が「二百疋」って。
結論を言うとこれは「干鮭」(カラサケ)のこと。
近衛政家がワインを飲んだ、というのはガセだと思う。日付と具体的な記述を原文で示されればもちろん受け入れる。ちなみに底本は平泉澄近衛文麿の協力で完成させた1930年刊本。それを『陽明叢書』でチェックした。