「在上海日本総領事館警察署長(田島周平)より長崎県水上警察署長(角川茂)に宛てた依頼状」を読んでみる

まずは永井氏が行論に使用した史料について一つずつ見ていきたい。
表題の「在上海日本総領事館警察署長(田島周平)より長崎県水上警察署長(角川茂)に宛てた依頼状」(以下依頼状)。

皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件

 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス

まずは釈文から。

皇軍将兵慰安婦女の渡来につき便宜供与の方を依頼の件
本件に関して、前線各地に於ける皇軍の進展に伴い、皇軍将兵の慰安の方法に付いて、関係諸機関に於いて考究中の処、ひごろ当館陸軍武官室と憲兵隊が合議の結果、施設の一端として前線各地に軍慰安所(事実上の貸座敷)を左記の要領に依り設置することとなった。

        記
領事館
 (イ)営業願出者に対する許可不許可の決定
 (ロ)慰安婦女の身許及斯業に対する一般契約手続
 (ハ)渡航上に関する便宜供与
 (ニ)営業主並びに婦女の身元、其他に関する関係諸官署間の照会並びに回答
 (ホ)着滬と同時に当地に滞在させないことを原則として許可不許可を決定の上、直ちに憲兵隊に引継ぐものとする
憲兵
 (イ)領事館より引継を受けた営業主並婦女の就業地への輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女に対する保護と取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等の準備
 (ロ)一般保険並検黴に関する件
右の要領により施設を急いで居るが、既に稼業婦女(酌婦)募集の為、本邦内地並に朝鮮方面に旅行中のものがいる。今後も同様要務にて旅行するものある筈であるが、これ等のものに対しては、当館発給の身分証明書中に事由を記入し、本人に携帯させているので、乗船其他について便宜供与の方を御取計していただきたく、なお着滬後直に就業地に赴く関係上、募集者・抱主又は其の代理者等にはそれぞれこの業に必要な書類(左記雛形)を交付し、あらかじめ書類の完備のやり方を指示し置いたが、整備ができていないものが多いだろうと予想されると共に、着滬後煩雑な手続を繰返すことがない様にしたいとおもうので、一応携帯書類を御査閲いただいた上で御援助していただきたいと依頼する。

冒頭の部分で上海領事館と在中華民国大使館付陸軍武官と憲兵隊が慰安所設置について話し合っていることが読み取れる。その協議の結果前線に慰安所を設置し、その運用について三者の分担がなされたことがわかる。
この史料について永井氏は

慰安所の設置が軍の指示、命令によるものであったことは、今までの慰安所研究により明らかにされており、今では史実として広く受け入れられている。その意味では、定説の再確認にとどまるのだが、この在上海総領事館警察署の依頼状は、慰安所の設置を命じた軍の指令文書そのものではないとしても、政府機関と軍すなわち在上海陸軍武官室、総領事館憲兵隊によって慰安所の設置とその運営法が決定されたことを直接的に示す公文書として他に先例がなく、その点で重要な意義を有する。

さらにこの依頼状から読みとれるのは、慰安所で働く女性の調達のために、軍と総領事館の指示を受けた業者が日本および朝鮮へ募集に出かけたこと、および彼等の募集活動と集められた女性の渡航に便宜をはかるように、内地の(おそらく朝鮮も同様と思われる)警察にむけて依頼がなされた事実である。

と分析している。
さらに永井氏が注目したのは陸軍慰安所に対する風俗警察権が領事館警察ではなく、軍事警察=憲兵隊にゆだねられていたことである。これは慰安所が一般公娼施設とは異なり、明確に軍の兵站附属施設であることを示す。永井氏は「陸軍慰安所を一般の公娼施設と同様とみなす議論は、この点を無視ないし軽視していると言わざるをえない」と主張する。
永井氏はその主張点を補強するために「補論」において1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」を挙げる。

第一条 野戦酒保ハ戦地又ハ事変地ニ於テ軍人軍属其ノ他特ニ従軍ヲ許サレタル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス。野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得。
(野戦酒保は戦地または事変地において軍人・軍属・その他特に従軍を許された者に必要な日用品・飲食物などを正確かつ廉価に販売することを目的とする。野戦酒保において前項以外に必要な慰安施設をつくることができる。)

これは1904年に制定された「野戦酒保規程」が改正されたものである。改正前は以下の通り。

第一条 野戦酒保ハ戦地ニ於テ軍人軍属ニ必要ノ需用ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス(野戦酒保は戦地において軍人・軍属に必要な品物を正確かつ廉価に販売することを目的とする。)

改正の理由はこれに添付された「野戦酒保規程改正説明書」に次のように説明されている。

改正理由
野戦酒保利用者ノ範囲ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ為シ得ルコトモ認ムルヲ要スルニ依ル(野戦酒保の利用者の範囲を明瞭にし、かつ対陣間に慰安施設を造ることも認める必要があるからである。)

永井氏はこれらの史料の検討を通じて

1937年12月の時点での、陸軍組織編制上の軍慰安所の法的位置づけは、この「野戦酒保規程」第一条に定めるところの「野戦酒保に付設された慰安施設」であったと、ほぼ断定できる。酒保そのものは、明治時代から軍隊内務書に規定されているれっきとした軍の組織である。野戦酒保も同様で、陸軍大臣の定めた軍制令規によって規定されている軍の後方施設である。してみれば、当然それに付設される「慰安施設」も軍の後方施設の一種にほかならない。もちろん、改定野戦酒保規程では「慰安施設」とあるだけで、軍慰安所のような性欲処理施設を直接にはさしていない。しかし、中国の占領地で軍慰安所が軍の手によって設置された時、当事者はそれを「慰安施設」と見なしていたことが、別の史料で確認できる。本稿のはじめのところで紹介した、上海派遣軍司令部の参謀達の日記がそれである。

と主張する。
さらに「追記」において永井氏は古書店で入手した『初級作戦給養百題』という書物を検討する。

この書物の第一章総説には、師団規模の部隊が作戦する際に、経理将校が担当しなければいけない作戦給養業務(「作戦経理勤務」)の内容が一五項目にわたって列挙されているが、その一五番目「其他」の項には、以下の小目が含まれる(強調は永井、以下同じ)。

 1 酒保ノ開設
 2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演芸会ノ開催
 3 恤兵品ノ補給及分配
 4 商人ノ監視                          (p.14)

このことから、1941年の時点で、「慰安所ノ設置」は、「酒保ノ開設」と並んで経理将校が行わなければいけない「作戦給養業務」のひとつであったことがわかる。これもまた、私が本文で指摘した、「軍慰安所とは、将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設」との主張を裏付けてくれる、軍の内部資料の一つであるわけである。

ここまで見てきた議論の中で一貫して永井氏が主張しているのは、慰安所が軍の兵站附属施設である、ということである。その上でこのエントリの表題の史料については

まともに申請すれば、「醜業」と蔑視されている売春業者や娼婦・酌婦に対して身分証明書の発給が許されるはずがない。だからこそ、上海の領事館警察から長崎県水上警察署に対して、陸軍慰安所の設置はたしかに軍と総領事館の協議・決定に基づくものであり、決して一儲けを企む民間業者の恣意的事業ではないことを通知し、業者と従業女性の中国渡航にしかるべき便宜をはかってほしいとの要請(「乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度」)がなされたのである。よって、この依頼状の性格は、軍の方針を伝えるとともに、前記外務次官通達の定める渡航制限に緩和措置を求めたものと位置づけるのが至当である。

と結論づける。
この史料は、和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(1938年2月7日付)に添付されていた写であって、この史料が添付された事情は、和歌山県における慰安婦の募集がトラブルを起こしていたことが背景にある。このトラブルこそが先の「副官通牒」における「関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ」という文言を書かねばならない理由だったのだ。
次回はこのトラブルについて永井氏の研究に学びたい。