鎌倉幕府「撫民」法を読んでみる1

『中世法制史料集 第一巻 鎌倉幕府法』(岩波書店)の中の鎌倉幕府追加法の中から鎌倉幕府における「撫民」に関する法を読んでいく。「撫民」とは「民を撫でる」すなわち民生の政策のことである。具体的には追加法293で示された「凡そ少事を以て煩費を致すべからず。専ら撫民の計らいを致し、農作の勇みを成すべし」というところに如実に表れている。「煩費」というのは『中世政治社会思想』の頭注によれば「百姓に罪を科す」ことであり、さらに言えば言いがかりをつけて百姓を自分の下人所従にしたり、妻子所従を下人化したりすることを指している。強者ではなく、弱者を保護すること、それが「撫民」だったのである。この政策は中世社会の基本的な価値観である「自力救済」と対極にあった。「自力救済」の価値観においては基本的に国家権力は民間に介入しない。それがかつては中世における「自由」と考えられてきたが、この40年ほどの間の惣村史研究や、賤民史研究の成果により、「明るい中世村落」という図式では捉えられない負の側面に着目がなされるようになった。それとともに「撫民」における弱者救済のあり方にも注目がなされるようになった。
国家論の立場から言えば、組織された強力としての側面だけでは国家権力たりえない。国家を国家たらしめている側面として強制機構のみならず、イデオロギー装置も必要であり、その点は例えば顕密体制論によって顕密仏教が国家におけるイデオロギー装置として果たした機能が明らかにされてきた。あるいは国家権力の機能として強制力だけではない、広汎な社会的・公的機能を遂行する必要があった。つまり百姓階級まで包み込んだ権力の構築である。撫民法はかかる鎌倉幕府の試みの一つである。鎌倉幕府の階級的基礎をなす地頭御家人の私的な権力に対しれ、それを超えた公権力として成立するためには必要不可欠な法だったのである。御成敗式目では定められなかった個々の事例に対する規制がこの撫民法であるが、その具体的な検討を一連のエントリで行ないたい。
鎌倉幕府が鎌倉殿の私的な権力から一個の公権力に転化するために、御家人の私的な権力を越えた権力、つまり共同体−間−第三権力として成立するために必要な要素がここで検討する「撫民法」である。言い換えればここで「撫民法」と定義するのは、鎌倉幕府が共同体−間−第三権力として成立するのに必要な法である。それは一つは御家人の百姓に対する非法の停止、強者が一方的に有利になる訴訟制度の是正であろう。建長五年に出された「諸国郡郷庄園地頭代、且令存知、且可致沙汰条々」(追加法282〜294)は前者に関する一連の法令であり、追加法262と269の「雑人訴訟」つまり御家人相手に百姓が勝訴することを想定した法令などである。他に裁判において強者の論理を抑制するために出された追加法266と267の寄沙汰禁止の法も「撫民法」に入れてよいだろう。
地頭の非法は大きく分けると、本所に対する非法と百姓に対する非法に分けられる。ここで問題にするのは当然百姓に対する非法である。この文言は幕府が始まって以来常に意識はされてきたであろう。追加法では御成敗式目が出される以前の貞応元年(1222)五月十八日の関東御教書(追加法7)にみることが出来る。
本文。

一 諸国守護人并庄々地頭等、偏如不輸私領抑沙汰、或追出預所郷司、或相交上司、不及所当弁済。加之、以吹毛之咎、損土民等。自去秋冬依院宣并殿下仰、雖被禁符、更以不承引。因之糺真偽令(脱文有りか)注文如是。相模守武蔵守相分国々、代官一人可被相副也。尾張国先為入部之始、定代官下向可相散也。御使者、五月会神事以後、即可進発者、仰旨如此。仍執達如件。
 貞応元年五月十八日   陸奥守平 判
追申
国々代官者、器量相計可被定遣也。又経廻計略者、為在庁沙汰、訴訟所々可充之。子細御使被仰畢。

読み下し。

一 諸国守護人ならびに庄々の地頭ら、偏に不輸の私領のごとく沙汰を抑え、或いは預所・郷司を追い出し、或いは上司を相交え、所当の弁済に及ばず。しかのみならず、吹毛の咎を以て、土民らを損ねる。去る秋冬より、院宣(後高倉法皇)ならびに殿下(摂政近衛家実)の仰せに依り、禁符せらるといえども、更に以て承引せず。これにより真偽を糺し、(脱文か)せしむるの注文この如し。相模守(北条泰時)武蔵守(北条時房)国々を相分け、代官一人を相副えらるべし。尾張国をまず入部の始めとして、定代官の下向を相散らすべきなり。御使は、五月会の神事以後、即ち進発すべしてへれば、仰せの旨此の如し。仍て執達件の如し。
 貞応元年五月十八日    陸奥守平(北条義時
追申
国々の代官は、器量を相計りて定め遣わさるべきなり。又経廻の計略は、在庁の沙汰として、訴訟所々にこれを充つべし。子細は御使に仰せられおわんぬ。

ここでは地頭の非法の二つの側面が同時に問題にされている。つまり「或いは預所・郷司を追い出し、或いは上司を相交え、所当の弁済に及ばず」というところで本所に対する非法行為が問題にされ、「吹毛の咎を以て、土民らを損ねる」というところで百姓に対する非法が問題にされている。ここでは具体的に言及されているのは本所に対する非法行為であり、「土民らを損ねる」という問題はそれほど問題にはされていない。承久の乱の直後で、新補地頭がそれまで地頭が設置されていなかった荘園に配置され、本所との軋轢が問題になっていたのだろう。土民に対して「吹毛の咎を以て土民らを損ねる」という図式は、些細な罪で百姓やその妻子・下人所従・資財を没収するという式目42条以来問題にされている地頭非法なのだろう。
しかしここでの特徴はあくまでも本所に対する非法行為が主であり、「加之」とあくまで付け足しであることである。その問題で一つの条文を立てるには至っていない。ここではまだ「撫民」という政策は重視されていないと考えることもできよう。
撫民政策が独立した条文になるのはいつなのか。次回はその条文をみてみたい。