九条頼経はかなり微妙だ(マジ)

鎌倉幕府4代将軍は藤原頼経である。しばしば彼は九条頼経とも表記される。目くじらを立てるつもりはないが、これは実際はかなり微妙ではある。微妙だからこそ「九条頼経」よりも「藤原頼経」の方が主流なのだろう。
なぜ「藤原頼経」はしばしば「九条頼経」と表記されるのか。それは彼が九条道家の子だからである。九条道家の子が九条頼経、非常に分かりやすい。しかし微妙なのだ。
結局「九条」というのは「家名」であって、「九条殿」を本第としているから九条家なのである。藤原頼経は九条殿を本第としていない。だから「九条頼経」は微妙なのだ。九条道家の孫で九条殿を継承したのは忠家である。道家から忠家とその間にはさまる教実が「九条」と呼ばれるのは当然である。道家から一条殿を継承した実経は九条実経とは呼ばれず、一条実経と呼ばれる。二条殿を本第とした良実は二条良実と呼ばれる。ちなみにいずれも後世の歴史学研究のための便宜である。
藤原頼経は九条殿を本第とはしていない。従って厳密に言えば「九条頼経」というのは間違いである。しかしだからといってNHKが仮に「九条頼経」という言葉を使ったからと言って目くじらを立てる人はいないだろう。「どこの研究者が言っている」と言い募り、提示すると「虚仮威し」とか「研究者が言っているから正しいとは限らない」と放言するジャーナリストがいたとしたら、そういう人を雇用している報道機関が心配であるし、何よりも本人が大丈夫かと心配になる。もちろん「九条頼経」という言葉にそこまで噛みつく人はいない、と信じたい(笑)。はっきり言ってかなり面倒くさい。