南北朝正閏問題

911年1月19日、読売新聞は「南北朝対立問題−国定教科書の失態」と題した社説を掲載した。

もし両朝の対立をしも許さば、国家の既に分裂したること、灼然火を賭るよりも明かに、天下の失態之より大なる莫かるべし。何ぞ文部省側の主張の如く一時の変態として之を看過するを得んや

日本帝国に於て真に人格の判定を為すの標準は知識徳行の優劣より先づ国民的情操、即ち大義名分の明否如何に在り。今日の多く個人主義の日に発達し、ニヒリストさへ輩出する時代に於ては特に緊要重大にして欠くべからず

これは当時の文部省の国定教科書『尋常小学日本歴史』において南北両朝を併存するものとして記述されてきたことに対する非難のキャンペーンである。当時学術的には南北両朝が併存している、という認識は当然のことであった。教科書は学術的成果に依拠して「南北朝」と表記したのである。この社説に反応したのは漢学者で早稲田大学講師の松平康国と牧野謙次郎であった。彼らは藤沢元造衆議院議員にこの問題について国会で取り上げてもらうことにした。学術的な問題に政治的な圧力を加えようとしたのである。藤沢議員の質問要旨は次のようである。

文部省の編纂にかかる尋常小学校用日本歴史は、国民をして順逆・正邪を誤らしめ、皇室の尊厳を傷つけ奉り、教育の根底を破壊する憂いなきか

桂太郎内閣はこれに苦慮し、藤沢議員に圧力をかけ、藤沢議員は議員を辞す。この騒ぎは国粋団体を刺激したのみならず、野党立憲国民党による桂内閣への揺さぶりに利用される。さらに幸徳秋水大逆事件に弁護人を務めた鵜沢総明弁護士から事件関係者の一人が久米邦武の『大日本古代史』を読んで日本紀年に疑いを差し挟むようになった、と伝わると、教科書が悪いから人心が定まらず、国体を揺るがす事件も起こる、という極論が南朝正統論者から噴き上がる。
幸徳事件の背景もあって、元老山県有朋は桂を叱責して南朝正統の上奏に踏み切らせ、北朝皇統譜から抹消し、吉野朝時代とされるのである。しかし桂は「学者の説は自在に任せ置く考なり」と原敬に語り、学問への権力の介入は行なわない考えを示した。だからこそ東京帝国大学では田中義成が次のように述べることができたのである。

抑も南北朝時代なる詞は先年之を国定教科書に用ふるに就き朝野の間に問題起りて喧かりし為、文部省に於てこの名称を排し、新に吉野朝時代なる詞を制定せるものにして、今は国定教科書並に中学校、師範学校、女学校等の教科要目等すべてこの名称を用ふる事となり、即ち一の制度となれり。しかれども本講に於ては、もとより学説の自由を有するを以て、この制度に拘泥せず、吾人の所信を述べむ。吾人の考ふる所によれば、学術的には、この時代を称して南北朝時代と言ふを至当とす。何となれば当時天下南北に分れて抗争せるが故に、南北朝の一語よく時代の大勢を云ひ表はせるを以てなり。吾人が歴史を研究する上に、大義名分の為に事実を全く犠牲に供する必要を見ず。必ずや事実を根拠として論ぜざる可からず

田中の意思は「本講に於ては、もとより学説の自由を有するを以て、この制度に拘泥せず、吾人の所信を述べむ。吾人の考ふる所によれば、学術的には、この時代を称して南北朝時代と言ふを至当とす」や「吾人が歴史を研究する上に、大義名分の為に事実を全く犠牲に供する必要を見ず」にみられる。
分かりやすく上の言葉を言い換えると、「本稿儀では、学問の自由があるので、教育制度に拘泥せず、私の考えを述べよう。私の見解では、学術的にはこの時代を南北朝時代というのが正しい」「私が歴史を研究するときに、大義名分のために事実を犠牲にする必要はない」ということになる。
しかし「大義名分」なるものが、特定のイデオロギーを使って国民を「教化」しようとするものである以上、学問研究も国家の主導するイデオロギーとは無縁であり得ない。田中の講義も文学部長上田万年によって「吉野朝時代」と変更するように要請され、田中もそれに従わざるを得なかった。
歴史教育の場では学問研究とは無縁な、歴史上の人物を「忠臣」と「逆賊」に色分けし、それを暗記させる授業が中心となった。歴史教育から考えさせる、という要素は欠落し、教師の示す図式を暗記するだけのものになってしまったのである。
この問題について海津一朗氏は次のようにまとめる。

学問研究を象牙の塔の中に押し込めて分離し、教育内容を政治的な立場から統制するという日本近代の思想統制−それは今日に至るまで基本的に変わっていない−は、この南北朝正閏論という教科書攻撃から始まったのである。その先駆けとなったものが、一メディアを利用して仕掛けられたことも、歴史の警鐘として十分に注意しておく必要があるだろう(『神風と悪党の世紀』講談社学術現代文庫、1995年、201ページ)

今や学校教育だけでなく、私企業の営利活動にも介入し、監視し、統制しようとする全体主義者が「研究者」として発言しているのである。しかしこうみてみると藤岡信勝氏の発言は最低のサヨクそのものの発言ではある。まさに氏はサヨクの悪い所はしっかりと保持したうえで保守言論界に参入してきたと言えるだろう。
追記
まあ塾の教材はそもそも学術的成果とは無関係で、鎌倉幕府室町幕府もぐちゃぐちゃだが、塾の教材は「試験に出るか否か」が全てなので、そこに突っ込むには「試験に出ないからダメだ」しかあり得ないのだが、そこが社会から隔離された象牙の塔の住人を初めとした社会性を必要としない人々には分からないようだ。大学教授とか、文部科学省の官僚とか、全国紙(笑)の記者とか、ネット住人とか。