阪急2000系

また神戸線。今回は現在の阪急スタイルをつくりあげた2000系。九州での仕事のあとなので、帰ってくるのが正午前後になる。三宮では売り切れだった記憶しかなかったのだが、本日はまだ在庫あり。2セットゲット、と思いきや、持ち合わせがなかった(涙)とりあえず一セット確保で、某駅に向かう。ここはいつも余らせている。この前も1300系が昼ごろにまだあったし、本日もまだ40セットは残っているのではないか。
製品の仕様だが、台車が住友FS333を履いている初期型。しかし扉は飾りがついている後期型。かなりニッチな選択になる。1967年に撮影された写真で確認したところ、2005Fは扉が前期仕様。したがって2005より若い番号をつけるとおかしいことになる。2007Fは1984年の写真で確認したところ後期仕様。住友FS333を履いているのは2011Fまでということになる。したがって鉄コレの仕様は2007Fから2011Fまでの編成で、三宮側から編成番号を付けると以下のようになる。
2007−2057−2006−2056
2009−2059−2008−2058
2011−2061−2010−2060
ちなみに箱には旧タイプの扉をつけた編成だけが紹介されている。だまされてはいけない。
宝塚線線用の2100系は全て旧タイプの扉なので、おかしいことになる。
京都線用の2300系にすることも一応できる。
2300系は台車がFS333というのは少数派で、2301〜2304まで。このグループには中間車がない。それと2301−2351、2302−2352は扉が旧タイプなので、これもおかしいことになる。2300系で鉄コレの仕様にあうのは2303−2353、2304−2354の4両ということになる。2300系は2両編成での営業運転はなかったように記憶しているウィキペディアによると嵐山線であったようだ)ので、おそらく2303−2353−2304−2354という編成を組んでいたことはあったのだろう。晩年には嵐山線でこの編成が実際に組まれていた。
2000系にする場合、製品は2パンタ仕様なので昇圧前の1960年から1967年の間ということになる。1967年の昇圧以降は大阪方のパンタが撤去されていたので、2000の先頭車(奇数番号車)の連結面側のパンタと、2000の中間車の機器が多く載っている側のパンタを撤去すれば昇圧以降になる。穴がたくさんあるので、意外と面倒くさいと思う。台車の違いに目をつぶるか、FS345を履かせることができれば、2300系や2021系など2パンタでしばらく活躍した車両もある。2300系にする場合には、2330(中間M車)はパンタ付きにして両方のパンタ周辺の機器を全て削る必要がある。つまりパンタ台だけ残すのである。3両でも4両でもできるし、2300系は非冷房車の8両急行運用もあった。ちなみに非冷房2300系の急行が来て、高槻駅で各駅停車の5300系から乗り換えるのは非常に悔しかった記憶がある。