名前の順番

せいすいえいこ氏は名前の順番について次のように主張する。

私の経験では、名前の順序など、大したことではない、
というのが、専門家筋の意見である。
しかし、式典などでは、席次は常に、政治的配慮が含まれていて、
その認識は、おろそかにできない、はず。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hanesitaronnbunn.html

そして「これが、歴史学の方法として一般化するようなことになったら、歴史認識も社会認識も混乱するだろうに。」と歴史学を攻撃する。歴史学の成果が自らの信じるところと食い違う時に歴史修正主義者が採用する常套手段ではある。
しかしこの批判は全く的外れであり、ためにするものであることを指摘した。そもそも論拠が『大日本史料』の配列であ、しかも氏は『大日本史料』すら参照していない可能性がある(参照していれば「緩怠」を「緩急」と書くことはあり得ない)というのでは何をかいわんや、だが。
百歩譲って案文における排列順序を論拠にした、としよう。しかし先にある方が偉い、とは限らない。
関東御教書より。

http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=15562

永嘉門院御使薩摩前司家知申室町院御
遺領事、々書一通此如、以此趣可申入西園寺
右大将家之状依仰執達如件。
元亨四年二月五日 相模守
修理権大夫
陸奥守殿
遠江左近大夫将監殿
(字がうまく配置できない。上の写真と見比べていただきたい)

ここにいる人物の上下関係がはっきりとわかる人は鎌倉幕府末期の政治史に関心がある人である。相模守が執権北条高時、修理権大夫は連署金沢貞顕陸奥守が六波羅探題南方で執権探題の大仏宗宣遠江左近大夫将監は六波羅探題北方の常葉範貞。執権→連署→執権探題→探題という順番である。従って相模守が一番上席であるはずだ。少なくとも貞顕の上にいなければおかしい。おろそかにはできないはずだ。
古文書に少しでも造詣があれば、署名の順番は日付の下が一番身分が低いことは常識だ。これを「日下」という。そこで日下に署名をしている人物は誰かと言えば、
( ゚д゚) ・・・ あれ?(つд⊂)ゴシゴシ あれ?(;゚д゚) ・・・ 北条高時だ。得宗連署の下位に署名している。
種明かしをすれば、関東御教書の署名は朝廷での官位に基づくもの。幕府での席次はまた別だ。
ここで問題になるのは二点。
一、右に書いてあるから偉いとは限らない。
二、文書に現れる上下関係が席次と常に一致するとは限らない。
歴史学という学問を貶めたいという結論ありきで文章を書くから変な文章を書いて恬として恥ないことになる。他山の石としたい。
ちなみに永嘉門院は宗尊親王の娘で後宇多院後宮。詳しくはhttp://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/kuroda-toshio-muromachiinryo.htmを参照。特に鈴木小太郎氏の解説。