悲しからずやさだまさし

長崎での平和コンサートに終止符を打ったさだまさし氏。さだ氏のメッセージは明白である。以下引用しよう。

「この20年間、戦争は絶えなかったし、ましてや日本まで戦争に加わるようになってしまった。本当に今の日本が平和といえるのか?」と曇りも残っている。
セルフディフェンス自衛隊)というなら、海外に行くべきではなかった」と断言するさだ。
「今の日本は明らかに米国の属国であることに、国民は気付いているのか、という思いもある」という。
そのため、当初は9月に発売するニューアルバムに『51』という曲を入れようとしたほどだ。
イチローの歌ですか、って聞かれたけど、違います(苦笑)。難しくて作りきれなかったけど、日本が米国の51番目の州という意味です」
まもなく、任期満了を迎える小泉純一郎首相についても、「お金しか出さないで批判されたとしても、それを続けていくような一貫性が必要」と苦言。イラクへの自衛隊派兵については、「日本はやばい角を曲がってしまった」苦い思いを持っているのが実情だ。(夕刊フジ

しかし世の中はこわい。これだけ明白なメッセージを読みとれない人々はいるのだ。メッセージを受け止めた上で。さだ氏の見解を批判するなり、肯定するなりするのは、至極当然のことだ。しかし次のようなさだまさしファンの言葉(いくつかの意見を総合、したがって特定論者の意見ではない)はさだ氏を愚弄する以外の何ものでもない。
「さだ氏がこのコンサートの中でいつも言っていることは、政治的な集まり、思想・信条・主義・主張の為の集まりではないこと。しかし、10年目のピースソフィア運動あたりから、少しずつ、さだ氏の思惑とずれて、政治的、思想・信条・主義・主張的な色が強くなってしまったのではないか。だから、今回の20回目を終止符としたのかも知れない。」と。
このようなことを書く人がさだまさしファンを名乗ること自体がおかしいのだ。さだ氏の主張に不満であれば、それはそれでいい。そしてさだ氏との見解の相違を抱えながらさだ氏のファンを続けるのも一つのあり方だろう。あるいはさだファンを辞めるのも一つのあり方だ。しかし自分の都合の良いようにさだ氏の主張をねじまげるのはやはり解せない。
だからこそさだ氏は次のようなメッセージを残さざるを得なかったのだろう。

「『夏 長崎から』はこの20年、生活の一部になっていた。『生活の一部になる』というのは怖いことで、変化に気付かない。僕のメッセージが伝わっているのか、いないのかもわからない。変化に気付くために、現場を離れます」