いじめ

今ホットな話題といえば、藤田東吾社長が官邸に押し掛けたことだろう。もっともマスコミからは黙殺されるだろうが、ワイドショーか週刊誌位は取り上げるか。しかし私がそれについて何か言及できるか、と言えばできない。
そこでもう一つホットな話題。いじめ。
塾でも当然いじめは存在する。ただ塾が学校と違うのは、塾でのいじめは塾の存亡にかかわる、ということだ。「あそこの塾はいじめを放置した」という話が広まれば、塾生は雪崩を打って辞めるだろう。悪い話は一瞬にして広まる。だからいじめの問題は放置できない。
もっとも塾では生徒の自主的な時間は少ない。行き帰り位だが、そこでいじめられている、というのもあり得るが、それは塾が関わるべき問題ではなくなっている。彼らの私生活までこちらは介入できない。塾も生徒も親もそれは了解している。問題は塾にいる時間である。学校が難しいのは、学校は生徒の全人格を管理するものと意識されているから、放課後に学校外で起こったいじめ問題も学校の責任とされる。塾の場合、おそらく誰も問題にはするまい。学校の管理が問われるのである。塾としては助かった、という気分だ。
塾内で起こるいじめ問題への対処は基本的には単純である。塾は退塾処分がある。塾は生徒同士の話しあい、という迂遠な方法はとらない。塾内でいじめを行う生徒は塾の規範を破壊している、と見なされるので、速攻処分が下される。我が塾ではクラスの降格。塾は成績別クラスなので、クラスを下げる。これで一ヶ月はクラスが上がれないので、かなり堪えるようだ、上のクラスの生徒ほど堪えるクラスの降格処分の時に、今度やればまた下がる、と伝える。それでも辞めなければ辞めてもらう、とも。今までいじめで退塾した生徒はいないのだが、必ず「数年前にもいたんや、人をいじめて退塾させられたのが」と脅す。これで大抵いじめはなくなる。もちろん親にはしっかりお灸を据える。親の中には反発するのも当然いる。しかしこちらの言い分を理解してもらわなければならない。もし受け入れてもらえない場合はもちろん退塾だ。ここでいじめた側の退塾を警戒して妥協すると、いじめられ、結果退塾せざるを得なかった生徒の恨みは当然塾に向かうだろう。そしてその恨みは多くの共感を買う。だからいじめた側を排除する必要がある。
学校では排除もできないし、保護者の圧力にも弱い。さらにマスコミや政府が学校バッシングをするものだから、現在の教師の立場はきわめて弱くなっている。教師は教室の秩序を保つことができない状況に追いつめられているのだ。そのような中でいじめに対処せよ、というのは、かなり厳しい注文である。
もう一つ学校でのいじめ問題の難しさは、子どもたちは学校で独自に社会を形成しているところにある。学校というのは子どもにとって大きなウェイトを占める。一方塾は子どもの生活でも限定的だ。だから学校のいじめは親にも教師にも告げられることが少ない。社会の中で孤立するのを避けようとする心理が働くからだ。一方塾で孤立してもそれほど痛くはない。今行われている「いやなこと」が収まるほうが重大事だ。だから塾は比較的いじめが顕在化しやすく、教師側でも対処がたやすい、という側面はある。