大日本帝国憲法の幻影

大日本帝国憲法制定過程での論争の一幕。
森有礼伊藤博文の枢密院における憲法論争。森が「臣民の権利および義務を憲法に書く必要はない。臣民の分際を書くことで十分だ」と発言したのに対し、伊藤が「それは憲法及び国法学を全否定する議論だ。憲法制定の第一の目的は、君権を制限し、第二の目的は人民の権利を保障することにある」と反論。
森ー伊藤論争においては、一見伊藤の方がまともな議論をしているように思われる。伊藤はヨーロッパで憲法研究を行い、その成果を活かそうとしているから、憲法が人民の権利を保障し、国家の権限を制限するために制定される、という憲法学の常識を押さえていた。実際明治から昭和にかけては国家が大日本帝国憲法を嫌い、それに対して護憲派大日本帝国憲法の遵守を求めていたのだ。日本では常に憲法は政府によって軽んぜられ、政府批判派によって擁護される存在であった。
上記の森ー伊藤論争だが、森は実際には伊藤に比べて反動的、国家主義的な議論をしているように見えるが、実際は森の議論のベースには「権利は人民の生まれながらにしてもつものであり、法により与えられるものではない」という考えがあったのだ。いわゆる天賦人権論である。森の議論ではそもそも憲法において権利を保障するのでは不十分だという考えがあった。森にとっては、人民の権利は憲法を初めとした「法」を超越したものだったのである。ただ森の意見がある種の理想論であることも事実で、国家の権限を制限し、人民の権利を保障するのが憲法である、という伊藤の憲法認識は、現在でも顧みられるべき論点であると思われる。現在の憲法をめぐる議論は森とは異なり、まさに「憲法及國法學ニ退去ヲ命シタルノ説ト云フヘシ」という態のものが主流となっている。
原文は以下の通り。

十四番(森) 本章ノ臣民權利義務ヲ改メテ臣民ノ分際ト修正セン。今其理由ヲ略述スレハ、權利義務ナル字ハ、法律ニ於テハ記載スヘキモノナレトモ、憲法ニハ之ヲ記載スルコト頗ル穩當ナラサルカ如シ。何トナレハ、臣民トハ英語ニテ「サブゼクト」ト云フモノニシテ、天皇ニ對スルノ語ナリ。臣民ハ天皇ニ對シテハ獨リ分限ヲ有シ、責任ヲ有スルモノニシテ、權利ニアラサルナリ。故ニ憲法ノ如キ重大ナル法典ニハ、只人民ノ天皇ニ對スル分際ヲ書クノミニテ足ルモノニシテ、其他ノ事ヲ記載スルノ要用ナシ。
番外(井上) 分際トハ英語ニテ如何ナル文字ナルカ。
十四番(森) 分際トハ「レスポンシビリテー」、即チ責任ナリ。分ノミニテ可ナリ。
議長 十四番ノ説ハ憲法及國法學ニ退去ヲ命シタルノ説ト云フヘシ。抑憲法ヲ創設スルノ精神ハ、第一君權ヲ制限シ、第二臣民ノ權利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民ノ權理ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ、憲法ヲ設クルノ必要ナシ。又如何ナル國ト雖モ、臣民ノ權理ヲ保護セス、又君主權ヲ制限セサルトキニハ、臣民ニハ無限ノ責任アリ、君主ニハ無限ノ權力アリ。是レ之ヲ稱シテ君主專制國ト云フ。故ニ君主權ヲ制限シ、又臣民ハ如何ナル義務ヲ有シ、如何ナル權理ヲ有ス、ト憲法ニ列記シテ、始テ憲法ノ骨子備ハルモノナリ。又分ノ字ハ支那、日本ニ於テ頻ニ唱ヘル所ナレトモ、本章ニアル憲法上ノ事件ニ相當スル文字ニアラサルナリ。何トナレハ、臣民ノ分トシテ兵役ニ就キ租税ヲ納ムルトハ云ヒ得ヘキモ、臣民ノ分トシテ財産ヲ有シ言論集會ノ自由ヲ有スルトハ云ヒ難シ。一ハ義務ニシテ一ハ權理ナリ。是レ即チ權理ト義務トヲ分別スル所以ナリ。且ツ維新以來今日ニ至ルマテ、本邦ノ法律ハ皆ナ臣民ノ權理義務ニ關係ヲ有シ、現ニ政府ハ之ニ依テ以テ政治ヲ施行シタルニアラスヤ。然ルニ今全ク之ニ反シタル政治ヲ施行スル事ハ如何ナル意ナルカ。森氏ノ修正説ハ憲法ニ反對スル説ト云フヘキナリ。蓋シ憲法ヨリ權理義務ヲ除クトキニハ、憲法ハ人民ノ保護者タル事能ハサルナリ。