『満済准后日記』応永三十三年三月十三日条

とりあえず記事を引用する。

就雑熱、自御所様医師所阿弥被召下。馬足形風情云々。

この記事を本郷和人氏は「義持のおできは馬足形の風情である」と解釈していらっしゃる(「『満済准后日記』と室町幕府五味文彦編『日記に中世を読む』1998年所収)。
私は次のように訳した。
発熱おできについて御所様より医師所阿弥を派遣された。(おできは)馬足形の様子である、ということだ。」
つまり私見ではおできは義持ではなく、満済である、と考えたのである。その根拠として私は同月九日条の記述を挙げておきたい。

自今日御所様聖廟御参籠。予可参北野由雖被仰 、雑熱子細間、故障由申入了。

満済発熱おできのために九日からの北野参籠を欠席していたのである。それに対し義持から満済のもとに医師が派遣されたわけであって、馬足形のおできの主は満済だ、と考えたのである。
追記
国家鮟鱇氏の記事「馬足形 - 国家鮟鱇」で思い出した。「雑熱」は「腫物」だった。国家鮟鱇氏に深謝。