2012-01-01から1年間の記事一覧

鎌倉幕府否定論再論

鎌倉幕府の成立年代には大きく分けて7つある。数少ないこのブログの読者ならば何回か読んでいらっしゃると思うし、新たな読者がいるともあまり思えないが、再び。 鎌倉幕府の成立については一一八〇年、一一八三年、一一八四年、一一八五年、一一八九年、一…

南部氏に拒否された室町殿の対応

下国氏が南部氏に敗れ、室町幕府が調停に乗り出したが、それを南部氏が拒否した時、室町幕府に何ができたかを考えなければならない。 通説となっている「十三湊還住説」では室町幕府が強力な指導を行なった、とされている。しかし実際に室町幕府に何ができた…

これはひどい『函館市史』

『函館市史』の中にこんな記述がある(http://www.lib-hkd.jp/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-01/shishi_03-01-02-00-02%7E03.htm)。 ここに「後花園天皇宣命」なるものが引かれている。引用する。 宣命 安倍一族之処領不レ可レ侵、東日流(…

三戸南部氏と八戸南部氏

今、斯波氏と南部氏の関係を検討しているのだが、これも一筋縄ではいかない。南部氏の手筋として機能していたのが斯波武衛家ではなく、大野斯波家であるようだ。具体的にいえば斯波義将の弟の義種から始まる家であり、武衛家が断絶すると義敏が武衛家を継承…

上の種明かし

甲に下国安藤氏と南部氏の戦闘と安藤氏の北海道への没落、Aに『満済准后日記』、Bに『新羅之記録』を入れると話が具体的になる。中世北方史、特に室町時代の津軽・北海道については、室町時代の中央の政治史もはっきりとしない事が多く、北海道・津軽地域…

史料操作の問題

甲という史実が記述された二つの史料がある、とする。 Aという史料は甲という事件が起こった時代の中央政府の中枢におり、この事件ともかかわっている政府要人の残した日記である。 Bという史料は甲という事件が起こった数百年後に、甲という事件の起こっ…

大河ドラマ

しまった!視聴を忘れていた!今日は大河ドラマの悪口で盛り上がるので、しっかり見ておかないと話題に取り残されるのに〜!

『福山秘府』巻之二(9)−天文二十一年〜二十三年

同(天文)廿一年*1壬子 松前年代記曰上国城代南条越中広継之室企逆、弑蠣崎宮内舜広及次男万五郎元広。越中室自殺矣。是時東部唱*2里葛那必為二子墓所長泉寺領。 按新羅記、南条広継之妻者 永安公之長女也、欲廃公之男子、立我養子基広密*3計露而基広伏誅。…

”ŠO‘‚É‚¨‚¯‚鍑ŠøC‘‰Ì‚̎戵‚¢

『福山秘府』巻之二(8)−天文十八年〜二十年

同(天文)十八年*1己*2酉 松前年代記曰是歳修造毘沙門堂。 按新羅記天文十七年春三月季広参詣于上国天河毘沙門堂。于時賢蔵坊向公謝曰、某応太郎基広之需而謀公然祈不得其効事殆至此。季広使令長門藤六広益討基広。故翌年修造此堂云。同十九年*3庚戌 松前年…

『福山秘府』巻之二(7)−天文十七年補遺

上の記事は松前慶広の誕生の記事。 そこで戦国IXAの松前慶広の画像を。 Copyright © 2010, 2011 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved. ついでに尭季の外孫(尭季の娘が舜季の妻で愛季を産んでいる)の安東愛季の戦国IXAにおける画像も。 Copyright © …

『福山秘府』巻之二(7)−天文十七年

同(天文)十七年*1戊申 松前年代記曰春依上国蠣崎太郎基広*2反逆露顕。因令長門藤六広益討之。 按基広者 勝巖公*3之弟次郎高広*4之子也。是時基広四十歳。見于永正六年。 亦按新羅記昔日〈享禄末乎〉有羽州庄内郡司土佐静林翁者、入洛時大将軍義晴卿賜翁茶…

大河ドラマ『平清盛』の中世史研究者の評判

高校生の頃、『宇宙戦艦ヤマト』をけなすのが流行っていた。何せ突っ込みどころ満載だから。くさしていると『ヤマト』ファンが「いやなら見るな」と絡んできた。いやいや、けなすのが楽しいんだって。いや、なんてとんでもない。 中世史研究者が大河の悪口を…

大河ドラマ

『平清盛』、もちろん見ている。自分の専攻に近い時代の大河は見ておかないと同業者の話題に付いて行けない。もちろん大河の悪口をいうことw 『義経』は見ていなかった。同業者の話題に付いて行くことよりもタイガースの試合の方が大事だったから。 『北条…

大河ドラマ『平清盛』のツッコミ所

「王家がどう」とか「色彩がどう」とかツッコミがあるが、一番のツッコミ所はやはり吹石一恵演じる舞子が院御所で殺されたところだろう。ケガレを極度に忌む彼等が御所内で血を流させるわけはない。吹石一恵が忙しくて初回しか出演できないのであれば、御所…

大河ドラマ「平清盛」の「正義感」

国家鮟鱇氏の感想「平清盛」第二回感想 - 国家鮟鱇 一番萎えたのは、王家と呼ぶこととか、殺生禁断の白河院が清盛の母の殺害を命じたとかじゃなくて、清盛が出世を目指すのは、殺生禁断などという無茶な命令によって苦しめられる民を救うためには出世して意…

『福山秘府』巻之二(6)−天文十四年〜天文十五年

同(天文)十四年*1乙巳*2 松前年代記曰秋八月十九日義広逝。于時六十七歳。 按一本、此矣享年六十四歳、是訛也。方諡法幢*3寺殿勝巖宗全大庵主。 是歳秋九月八日 勝巖公尊夫人逝去。諡瑞光院殿心月珠泉大姉。是亦追諡也。同十五年*4丙午 松前年代記曰季広継…