2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

内地研究員

大学や大きな博物館の学芸員には留学が認められている。私のような非正規雇用の教員にはそんなものはない。生活の糧を稼ぐ暇を見つけて論文を執筆し、大学の講義の準備をしている。非常勤でありながら高いレベルの研究をやっている人々がいる。私も見習わな…

テスト

テストがあって、単位が必要な人だけが来ていたわけだが、講義をしている時には結構年配の人が多かったのだが、テストに来ているのは全員若い学生だった。何人かいて熱心に受講していたのは年配者のモグリだったのね。興味はあったけど単位はいらないのね。…

阪神5−2横浜

クレイグ・ブラゼル一塁手の本塁打二本で圧勝。ヒーローはブラゼル一塁手と新井貴浩三塁手だったが、金本知憲左翼手もいいバッティングだったと思う。 久保田智之投手が投げた時、最初に出塁を許した時にはApeman氏がテレビ観戦しているのかと冷や冷やしたが…

プンク逝く

残っていたシングープンク逝く。減ってきた。

承久の乱の影響

承久の乱は後鳥羽上皇の惨敗に終わった。乱を主導した後鳥羽上皇と順徳上皇は配流、上皇方に加担した公家や武士には厳しい処断が待っていた。上皇方の所領は没収され、そこに地頭が新たに設置された。天皇は退位させられ、摂政の九条道家も罷免された。鎌倉…

法学部教授(笑)

自分の名前でググったら、私の肩書きが「法学部教授」となっていた。法学部なんて教えたことも講義を受けたこともないし。法学部の建物自体、地階の食堂で飯を食うか、地階のATMで金を下ろすか、通り掛かりにトイレに行くか、生協の書籍部で本を見るか、…

これはひどい、ウィキペディア

近衛基平(近衛基平 - Wikipedia)のところでデタラメを垂れ流しているウィキペディア。基平の日記の『深心院関白記』の項目(深心院関白記 - Wikipedia)でもデタラメが垂れ流されている。 基平は蒙古から書状が届き、それに対する返牒を督促された際、返牒…

MSワード

やぱり脆弱すぎる。三〇分間の作業を返せ。こんなに頻繁に落ちていたのでは安心して作業できない。にも関わらず圧倒的なシェアを誇るために、MSワードがないと仕事にならない現状がある。できれば使いたくないソフトである。まめにバックアップ取れ、と言…

菅大臣神社

実は菅大臣神社に関する史料を使ったコネタを用意していたのだが、肝心の菅大臣が9月までもつかなぁ。代表選まではもつだろうと高をくくっていたのだが、これではいつつぶれても不思議ではないなぁ。菅大臣神社に関するネタを書けるようになるまで(要する…

今日の講義の復習

今日は少しgdgdになってしまった。原因は抵当権と質券の説明で、文書の中の担保が抵当権なのに質権と考えてしまったこと。「向後亀鏡の為」ここに残しておく。 申うくる利銭事 合一貫文者 右、用途者、百文ニ五文つゝの利分をそへて 来十月中ニけたいな…

今日の出来事

講師控室で先生方(面識はない)が世間話。ネットのデマをマジに受け止めていろいろ差別的な発言をしている。「ネットの中に真実がある」と信じる段階で人文科学研究者としての資質に疑問符が付くだろうし、差別的な言辞をもてあそぶ段階で教育者として失格…

承久の乱の原因3

(注意:この物語はあくまでもフィクションです) 承久元年12月29日の鎌倉幕府 義時「今回(伊賀)光季を通じてこんなもんがうっとこに来たんだけど、お前ら、ちゃんと彗星みてた?」 と安倍資元の勘文を見せた。 司天A「何々?20日に彗星が見えたっ…

承久の乱の原因2−承久の乱と源氏

承久元(1219)年7月13日に後鳥羽の命令によって討ち取られた源頼茂であるが、頼茂の誅殺に関して幕府が何らアクションを起こした形跡はない。それどころか伊賀光季によれば、「たまたま若君(藤原頼経)が下向されたので、今まで事情を申しませんで…

承久の乱の原因1−藤原頼経擁立をめぐる相克−

承久の乱によって鎌倉幕府の朝廷に対する優位が決定した。幕府は天皇をその位から引きずり下ろし、乱の首謀者となった治天の君を流罪にした。そして次の天皇は後鳥羽の子孫ではなく、後鳥羽の兄の行助入道親王の子孫から出すことにした。天皇の人事権は治天…

阪神3ー2ヤクルト

結果だけを見ると非常にいい試合。そのことに全く異論はない。 下柳剛投手の好投。青木宣親中堅手の先頭打者本塁打と相川亮二捕手の本塁打の二点に抑え、関本賢太郎選手の代打勝ち越し本塁打で勝利。渡辺亮投手、久保田智之投手、藤川球児投手と無失点救援。…

『吾妻鏡』に見る源実朝暗殺

北条義時黒幕説に対する反対意見として、義時が黒幕ならば、自身の関与を疑わせるような記録を残すわけがない、というのがある。その通りである。この件に関する公的な記録とは『吾妻鏡』のことであるが、『吾妻鏡』には義時を黒幕とうかがわせる記述はどこ…

源実朝政権における源仲章の役割について

源実朝が必ずしも北条氏の傀儡でないことは、現在ではほぼ学界では定説となっているとみていいだろう。『現代語訳 吾妻鏡 8 承久の乱』では杉山巖氏が解説を書いていて、そこの「実朝の治世」では「実朝の治世にあたる建保年間は幕府の基盤がよく整えられた…

源実朝の暗殺

1219(建保7、この年4月に承久に改元)年、右大臣拝賀の式に臨んだ鎌倉幕府三代目将軍源実朝は、参拝を終えて石段を降りたところで甥(二代目将軍源頼家の子)の公暁に暗殺された。その時に太刀持ちをしていた大学頭・文章博士の源仲章も殺された。仲…

藤間生大『日本庄園史』

中世史研究者の戸田芳実がこんなことを書いていた。 この草創期・開拓期の達成した古代−中世移行論の研究水準を自分たちのものにするためには、何をおいても前期四人の著作、すなわち石母田正『中世的世界の形成』、藤間生大『日本庄園史』、松本新八郎『中…